読み書き、そして・・・何? [教育]
「うちの子供は、ほんとに情けないくらい作文ができなくて」
と、お母様がたはよく嘆かれます。
で、連れてこられた子どもに、実際に書かせてみると、やっぱり書けませんね。(笑)
さすがは親です、よく見ています。
でも、それが病的なほどダメなのか言いますと、それなりに書けてはいます。
が、中には解読不能な文も混じっているという感じです。
親御さんも、それほど悪いとは、実際には思われていないのでしょうね、きっと。
さすがは親です。
例えば、主語のない文です。
主語があったとしても、わけのわからない述語になっている文など。
こうした文を書くのは、男の子が圧倒的に多いですね。
句読点がでたらめだったり、おまけに、筆圧が一様でなく、字もなぐったように
踊っているといった具合です。
傾向として、絵日記を描かせると、同じような未熟な絵を描きます。
絵を見れば字がわかる、といった具合ですから、まさに象形文字です。
とはいえ、こうした傾向は少なからず、書く機会を増やしたり、訓練することで
ある程度は改善されますので、まあいいのですが、問題はこうした傾向が
成長期によくある「一過性」のものなのか、ある種の「衰弱」を意味するのか
ということです。
今の児童全体がそうなのかよくわかりませんが、昔と比べて書く機会が圧倒的に
少なくなっているのは否めません。音読も例外ではありません。
私たちの経験からも、以前はクラス全員で元気いっぱい「唱和」したものです。
無骨な教育のように思えますが、戦前教育の名残のようなそうした記憶がまだ、
私たちの脳裏にはありますね。
今では、でも、「シノタマワク。。」の寺子屋や「山のあなあなあな」式のクラッシックな
教育風景は、おそらくいつか通り過ぎてきた「三丁目の夕焼け」のように遠い記憶
になってしまっているのでしょう。
このことに加えて、TV、ゲーム機、マンガ、アニメ、メールと、何も話さなくても
人生の大半を過ごせてしまいような「悪魔的」な遊び道具が子どもたちのまわりには
あふれかえっているのです。
「活字離れ」ではなく、「バベルの塔」を想起させる「言語衰弱」を疑ったほうがいいかも
しれないないですね。
ではどうすればいいのでしょうか?
私が某国の「小浜」という名前の「教育大臣」でしたら、「Change」のかわりに
きっと、こう言うかもしれません。
「Think」
と、お母様がたはよく嘆かれます。
で、連れてこられた子どもに、実際に書かせてみると、やっぱり書けませんね。(笑)
さすがは親です、よく見ています。
でも、それが病的なほどダメなのか言いますと、それなりに書けてはいます。
が、中には解読不能な文も混じっているという感じです。
親御さんも、それほど悪いとは、実際には思われていないのでしょうね、きっと。
さすがは親です。
例えば、主語のない文です。
主語があったとしても、わけのわからない述語になっている文など。
こうした文を書くのは、男の子が圧倒的に多いですね。
句読点がでたらめだったり、おまけに、筆圧が一様でなく、字もなぐったように
踊っているといった具合です。
傾向として、絵日記を描かせると、同じような未熟な絵を描きます。
絵を見れば字がわかる、といった具合ですから、まさに象形文字です。
とはいえ、こうした傾向は少なからず、書く機会を増やしたり、訓練することで
ある程度は改善されますので、まあいいのですが、問題はこうした傾向が
成長期によくある「一過性」のものなのか、ある種の「衰弱」を意味するのか
ということです。
今の児童全体がそうなのかよくわかりませんが、昔と比べて書く機会が圧倒的に
少なくなっているのは否めません。音読も例外ではありません。
私たちの経験からも、以前はクラス全員で元気いっぱい「唱和」したものです。
無骨な教育のように思えますが、戦前教育の名残のようなそうした記憶がまだ、
私たちの脳裏にはありますね。
今では、でも、「シノタマワク。。」の寺子屋や「山のあなあなあな」式のクラッシックな
教育風景は、おそらくいつか通り過ぎてきた「三丁目の夕焼け」のように遠い記憶
になってしまっているのでしょう。
このことに加えて、TV、ゲーム機、マンガ、アニメ、メールと、何も話さなくても
人生の大半を過ごせてしまいような「悪魔的」な遊び道具が子どもたちのまわりには
あふれかえっているのです。
「活字離れ」ではなく、「バベルの塔」を想起させる「言語衰弱」を疑ったほうがいいかも
しれないないですね。
ではどうすればいいのでしょうか?
私が某国の「小浜」という名前の「教育大臣」でしたら、「Change」のかわりに
きっと、こう言うかもしれません。
「Think」
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